其れ華番外編集

□茴香、里帰りするの巻(2)
1ページ/4ページ






普段は穏やかで静かな右大臣邸。
その日は珍しく、慌てる女房や下人などで邸は賑やかだった。

理由は明解である。


「もうすぐ藤壺の女御さまがいらっしゃる」


「茴香さまが、お帰りに」


今上に入内した右大臣家五の姫茴香。
彼女の里帰りとあって、右大臣家はこの様である。


「皆落ち着かれよ。皆がそのようであれば茴香も不安になるだろうて」


下々が慌てふためく姿を見ている右大臣が、彼らを宥めるように優しく言った。
だが右大臣とて落ち着いているわけではない。

むしろ一番胸を高鳴らせているのではないだろうか。


右大臣家五の姫茴香。
彼女は半生を男として、この邸で生活をしていた。
右大臣義能はそんな彼女を一番に気にかけていたのだ。

だから、今上に入内するとなった時は心から喜び、彼女が女として生きることを誇りに思った。


自分の姫たちに優劣をつけるわけにはいかないが、茴香が特に心配してしまう姫だった。





「藤壺の女御さま、参られました」


寝殿で待ち構えていた右大臣の耳に、抑揚のない女房の声が聞こえた。

御簾の向こうから、幾人かの衣擦れの音が響いて、視線の先にその姿を表した。


「女御のみお入りなさい」


女御と共にいた添木らしき女房が御簾を上に上げると、女御が身をかがめて御簾の中へと足を進めた。


「茴香、か」


「お久しぶりにございます、お父様」


右大臣がため息を漏らすようにその名を口にすると、女御が顔を上げる。

入内して一年あまり。
白磁の肌に黒く艶めく髪。漆に濡れた大きな瞳。何をとっても変わっていなかった。
だが、幾重にも重ねた袿からでも分かる身重の体だけが違う。
女の喜びを知った彼女の表情は、既に右大臣の知るものではなかった。


「ささ、お座りなさい」


右大臣が上座を降りて茴香を茵の上にと導こうとしたが、茴香は首を振った。


「わたくしが女御であろうと、わたくしはお父様の娘でございます。どうか、そのままで」


女御となった茴香は、父より身分が高い。
だが茴香は入内する前の関係のままを望んだ。

どこまでも、人のためを思う娘だと、右大臣は声には出さずにそのまま茴香の言うことをきいた。


「よく、帰ってきた。お帰り、茴香」


目尻に皺を刻んで微笑む父に、茴香も嬉しそうに微笑む。


「主上が引き留めるのを振り払うのに苦労しました」


冗談混じりだが、きちんと寵愛を受けていることがわかり、右大臣はゆっくりと頷いた。



次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ