小説・検◆事2部屋
□一柳×水鏡
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裁判官・水鏡秤は、検事・一柳弓彦を自宅に呼び寄せた。
つい先日まで父親のもとで暮らしていた一柳は独立することになったのだが、まだ17歳の彼がいきなり1人きりで生活するのは難しいだろうと考え、彼をしばらくの間預かり、教育することにしたのだ。
水鏡は13歳になる1人息子・詩紋と暮らしている。彼女は息子に、一柳は立派な検事になるための勉強をしていること、1人で生活できるようになるため、しばらくの間この家で暮らすことになったのだ、と説明した。
母親から、お客様に礼儀正しくなさい、と言われた詩紋は、年上の一柳に礼儀を払って「よろしく……。」とポケットに手をつっこんだまま挨拶し、すぐさま叱られた。
「ミカガミの息子だね。オレは、キミのお母さんにお世話になってる、検事の一柳弓彦。よろしく。」
一柳は詩紋に右手を差し出し、握手した。
クラス内はおろか学年中でもトップで背が低いのが悩みで、少しでも背を伸ばしたいと願う詩紋は、長身の一柳に憧れた。それが第一印象だ。
(オレも17歳の頃には、これぐらいに、背が高くなれるかな)と希望を持った。
夕食のために米をとぎ、炊飯器にかけるのは一柳の役目となった。
それから少しずつ、茶碗を洗ったり、洗濯したりといった身の回りのことを覚えられるように、水鏡は日々、一柳に教えていった。
***
一柳を預かってから1ヶ月が経ったある日。
たまたま詩紋はロケーション撮影の仕事があり、家にいない時だった。水鏡と一緒に帰宅した一柳は提案した。
「ミカガミ。オレ、ミカガミと一緒に、お風呂入りたい。」
「えっ!」
突然の、一柳の思いがけない要求に、水鏡は驚きの声をあげた。
「オレが子供の頃、オフクロがお風呂に入れてくれてた。それ……、かすかに憶えてるだけなんだ……。
小さい頃みたいに、母親と一緒に、お風呂に入りたいって、中学に入るまではずっと思ってた……。中学に入る頃には、あきらめたけど……。ダメかな? ミカガミ……?」
「ゆ……、ユミヒコさん……。」
水鏡は、母親と風呂に入ることも満足に叶わなかった一柳の子供時代を不憫に思い、涙ぐんだ。
「わかりました。一緒にお風呂に入りましょう。
でも、ユミヒコさんは、もう大人ですから、本当は1人で入るのです。一緒に入るのは、特別に、今日だけですわ。」
「う、うん。わかった。」
一柳は素直にうなづいた。
一柳に先に浴室に行かせ、水鏡は体にバスタオルを巻いて、後から入った。
2人で一緒に湯船につかると、湯があふれた。浴室の床に置かれた石鹸受けや手桶が、流れる湯に乗って踊った。
一柳はニコニコ顔で、水鏡を見た。
おかしな気を起こすような気配はなく、一柳は本当に嬉しそうだ。母親と入浴したときの気持ちを思い出しているのだろうか。
ふいに真面目な顔になって、一柳は訊いた。
「ミカガミは……、いなくならない? 遠くに行かない?」
彼の脳裏にあるのは、かつて一緒に風呂に入ってくれた母親が、二度と会えないどこかへ行ってしまったという悲しい過去だ。
「……わたくしは、裁判官ですから……。転勤で、遠くの土地へ行くこともあるでしょう。」
「そしたら、オレも、転勤して、ついていく!
……いい? ミカガミ……」
一柳も検事である以上、全国各地に転勤の可能性はある。
が、水鏡と同時期に同じ土地にいられるかどうか。
全くあり得ないとは言えないが、そう都合よくはいかないだろう。
「……一緒に行けるとは限りません。
でもね、ユミヒコさん。どんなに遠く離れても、わたくしはあなたを見守っています。」
水鏡が優しく見つめると、一柳は少し不安ながらも、うなづいて見せた。
湯船を出て、水鏡が一柳の背中を洗ってあげると、一柳の肩が静かに震えた。
かと思うと、一柳はしゃくりあげて、泣き出した。
「あ……っ、ユミヒコさん?」
「……嬉しいんだ。オレ……。
オレ、ずっと、こうしてほしかった。
子供の頃、オフクロ、オレの体を洗ってくれてたんだよ……。そのことだけは、憶えてるんだ。
もう一度、もう一度……、こうしてほしかっ……。」
一柳はそれ以上、言葉にならなくなり、水鏡も思わずもらい泣きしそうになった。肩を支えるのが精一杯だった。
しばらく嗚咽に震えていたが、やがて涙をぬぐい、一柳は言った。
「……ミカガミがいて良かった。
もう顔は憶えてないんだけど、オフクロ、とてもキレイで、優しかったんだ……。
たぶん、ミカガミみたいな人だったと思うよ。」
そして一柳は元気を取り戻し、笑顔を見せた。
***