窓と人
--------
「君のことなど何ひとつ、僕は信じていなかった。そう言えば満足かい?」
彼は笑顔で言い放つ。毒入りの盃を、飲み干したその口で。
「今なら、まだ逃げられるよ。ララフローラ。いや、アサシン・N・ブラッド殿とお呼びした方がいいのかな?」
興味がわいた。素性を見抜いた鋭さもさることながら、毒を盛られたことを知って尚、相手を生かそうとする精神状態に。
「扉の向こうには衛兵がいる。逃走経路は窓をおすすめするよ。ここは三階だが、君の苦にはならないだろう」
淡々と言葉を紡ぎ終えると、彼は赤い布張りの椅子に腰をかけ、黒檀の机の上で両腕を組んだ。毒が末端から体を侵しはじめたことを、他者に気づかせない優雅さで。
「少しは驚いてくれないか、流血を嫌う暗殺者殿。君の素性を掴むのは骨が折れる仕事だったんだから」
感情のない双眸にかき消された苦笑が、誠実で凡庸な好青年の仮面の残骸をしらしめすように揺れる。潜入して半年もたった今になってようやく、彼のひととなりに触れた気がした。
「ここは君のいるべき場所ではない」
よく手入れされた爪先がさし示す先は、窓。解毒の要求すらしない投げやりさが、茶番の終りを示していた。すべては、積み重ねられた嘘の賜。
「いきたまえ」