「勝負しようぜ。オレとお前、どっちが本当の『自分』なのか」




毛狩り隊科学ブロック隊長・チェックによって引き摺り出されたもう一人のヘッポコ丸。彼は自らを邪王と名乗り、ヘッポコ丸の裏人格の化身であることを明かした。




ヘッポコ丸が心の奥深くに燻らせていた他人への劣等感や羨望。パーティの誰よりも強大だったその心の闇。チェックはそれを、己が開発した薬の出来栄えを知りたかったというただそれだけの理由で、内から解放したのだ。




邪王という名を、宿らせて。




帝国の天敵であるボーボボ一行の中から選抜しようと考えたのは単なる気まぐれで、深い理由は無い。


ただ、基地の近くまで迫ってきていたから…様子を見に行った。そしてたまたま、ヘッポコ丸が新薬の実験台に適切な心の持ち主だった――本当にただ、それだけなのだ。




「お前が死ねばオレが本物。オレが死ねばお前が本物。至ってシンプルな理論だろ?」
「俺は、お前と戦いたくなんかない…!」
「なんで? どうして戦いたくないの?」
「だってお前は、俺なのに…!」
「だからこそさ」




ジャキッと爪を鋭く伸ばして構え、長い尻尾をゆらゆらと揺らし、不敵な笑みを浮かべる邪王。歪んだ口元から覗く鋭い牙がキラリと光った。その姿を見て、ヘッポコ丸は背中を冷たい汗が伝っていくのを感じた。末恐ろしく思ったのだ。目の前のこの少年の存在が。



自分が表に出さないように押し込め続けていた真っ黒な汚れた感情。それがまさか、こんな人知を凌駕した姿で現れてしまうなんて…。




「お前を消して、オレは『自分自身』を手に入れる」
「消っ…そんなことしなくたって、お前は俺なんだろう!?」
「弱いオレなんて、オレじゃねぇよ――!」




一歩踏み込み、繰り出された手刀。それをギリギリでかわし、距離を取るために後ろへ跳躍する。しかし簡単にそうさせてくれる筈もなく、着地に合わせて地に手を付いて遠心力を利用して繰り出される足払い。避ける暇もなく、その場に派手な音を立てて転倒する。

痛みに顔を歪める隙も体勢を立て直す暇も無く、腹部を容赦なく蹴りあげられた。
元が自分自身とは思えないその脚力。あまりの衝撃に数メートル程転がる。鳩尾にダイレクトに伝わる痛みになかなか起き上がる事が出来ない。それでもなんとか腹部を庇うように押さえ、立ち上がろうと地に手を付けた。その手を、邪王は慈悲も無く踏みつけた。




「ぅあっ…!」
「チェックが使った薬のせいで、お前が持っていた力のほとんどはオレの物になってる。どんなに足掻いたって、お前は勝てない」




グリグリと手を捩られる。振り払おうと真拳を発動させようとしたが、無駄だった。全くと言って良い程、体に力が入らないのだ。





そもそも、真拳って、どうやって使っていたっけ――?




ヘッポコ丸は困惑した。今まで呼吸をするのと同様に容易く使っていた己の真拳を、どのように扱って繰り出していたのか、本当に分からなくなったからだ。



邪王の言葉は嘘では無いらしい。あの薬は、ヘッポコ丸の闇を『邪王』として具現化させたどころか、ヘッポコ丸が持っていた力をゴッソリと邪王に移し変えてしまったのだ。真拳も、同様に。




つまり、今のヘッポコ丸は真拳も使えぬ、体術も拙いただの少年に成り下がってしまったのだ。



力を取り戻すには、邪王を倒すしか方法は無い。しかし――




「悔しいか? 自分がずっとずっと長い年月を掛けて蓄えた力を、あろうことか『自分自身』に奪われちまったんだ。悔しくない筈がないよなぁ?」




邪王の声はひどく楽しそうだ。踏みつけていた手を解放し、しゃがみこんでヘッポコ丸の顔を眺める。声同様、その表情も楽しそうだった。幼子がお気に入りの遊具で遊んでいる時のような、無邪気な顔だった。


ヘッポコ丸の顎を指で固定し、邪王は囁くように言った。




「選ばせてやるよ。楽に死ぬか、苦しんで死ぬかをさ」
「っふざけてるのか?」
「まさか。お前に勝ち目が無いのは明白だから、選択肢を提示してやってるだけさ」




目が逸らせない。選択を強いられる。しかし選べば最後。待つのは己の消失。イコール、死だ。



だから必然的に、流れるのは重い沈黙だ。ヘッポコ丸は何も答えないし、邪王も問い直してこない。二人以外誰も居ないこの空間では、他の物音すらしない。




「…つまんないな、お前」




邪王から笑顔が消えた。一気に興が冷めたとでも言いたげにそう言い切り、乱暴に顎から指を外して立ち上がった。ヘッポコ丸は突然の邪王の言葉に戸惑いつつも素早く立ち上がって距離を取った。そして仕掛けられるであろう攻撃に備えて身構えたが、邪王は何もしてこようとしない。


ヘッポコ丸はいぶかしみ、邪王に話し掛ける。




「どうしたんだよ。俺を殺すんじゃなかったのか?」
「つまんねぇんだよ、お前」




邪王は吐き捨てた。そういえばさっきも同じようなことを言っていたか。つまらない、と。




「オレがお前の汚い部分だからか? だからお前はそうなのか?」
「…意味が分からないんだけど」
「今のお前は、綺麗すぎるんだ」
「綺麗すぎる…?」
「悪意も憎悪も羨望も劣等も何もかも、お前からは感じられない。まるで無垢な赤子のような有り様。そんな奴を殺したって、オレは楽しくねぇ」
「…だけど、弱いお前は俺じゃないんだろ?」




だったら、早く殺そうとすれば良いのに。それがヘッポコ丸の率直な意見だった(殺されるつもりは更々無いのだが)。



邪王の言うことは些か理解出来なかったが、自分の気の持ちようは一番自分が分かってる。…否、邪王に言われるまで気付かなかったが――焦燥感は確かにあれど、考えてみればそれ以上の感情は沸いてこなかったのだ。今まで抱いていた劣等感や羨望も、邪王の言う悪意も憎悪も、何も感じないのだ。




――そもそも、どうして自分と邪王は、戦わなければならないのだろうか。




思考を占めるのは、そんな疑問ばかり。




「チッ…あの似非科学者、こんな風にオレを作り出しやがって…」




明らかに苛付きだした邪王。それはヘッポコ丸にでは無く、こんな状況に貶めたチェックに向けられている。




「何が『もう縛られる必要は無い』だよ。結局オレは、どう足掻いたって[ヘッポコ丸]のままなんじゃねぇか」
「邪王?」
「お前にだって分かるだろ? オレはお前の裏人格で、結局はお前自身に変わりはない。たとえお前を殺そうと、この枠からは抜けられない。…そうだろ?」




そう問い掛けてくる邪王は、何処か寂しそうだった。どうしてなのかは分からない。さっきまであんなに意気込んでいたくせに、こうも正反対の態度をとれるものだろうか。



しかし、こうなった要因は恐らく心境の変化だ。ヘッポコ丸を殺してまで己の存在意義を見出す必要性を見出だせなくなった。…きっと、そういうことなのだ。




邪王は悲観しているのだ。自分は『自分』として生きられないと、諦めている。ヘッポコ丸の裏人格の化身である彼は、自分とヘッポコ丸を同じと捉えている。元が同じだったのだからそう考えるのも致し方無い。




「俺は、それは違うと思う」
「あ?」




しかし、ヘッポコ丸はそうは考えなかった。




「だって、たとえお前が俺の裏人格の化身でも、その自我は…意思は、俺のものじゃない。お前自身のものだ」
「………」
「お前は俺の枠に縛られてなんかいない。邪王としての人格がある。お前は…お前なんだ」
「………」
「だから、良いんだ。俺を殺さなくったって、お前はお前なんだ。…自由に生きて、良いんだよ」
「………本当、甘いな、お前」




人から全ての汚点を抜いたら、こんな風に清らかになれんのか。




邪王は苦笑して、ヘッポコ丸を見つめる。さっきまでの殺伐とした雰囲気は、いつの間にか姿を消している。あるのは穏やかな暖かい空気。死線真っ只中にいた二人は――二つに分かれていた二人は、再び利害を一致させ、和解した。




「行こうぜ」
「? 何処に?」
「決まってんだろ」




ヘッポコ丸の手を取り、邪王は言った。




「あの似非科学者――チェックをぶっ飛ばしにさ」











誘発
(それが二人を一人に戻すためだとは)
(ヘッポコ丸は気付かなかったのだった――)






連載用に温めていた設定でしたが、あのギャグバトルを文で表せないので断念したもの(^ω^) しょうがないのでへっくんと邪王の話だけアプ。とりあえず色々補足しときますね。



●話的にはハレクラニ編の前ぐらい。だからパーティにはスズが居て破天荒は居ない(笑)
●毛狩り隊科学ブロックを知っている者は少ない。言わば暗部。
●隊長・チェックは自称科学者。真拳使いではない。
●ヘッポコ丸と邪王を分離させた薬品名は『イミテーション』。
●チェックは特殊な『目』を持ち、人の心の闇の度合いが分かる。ヘッポコ丸を選別する際も『目』で心の闇を見たから。




チェックと戦うボーボボ達を書きたいとは思うが、文才無いから先送りです(笑)。



栞葉 朱那

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